オシの美しさと危うさ①

 

「オシ」はどこから広がったのか

日常の中でちょっと心にひっかかったことを書いてみる。

ここ数年、「推し活(おしかつ)」という言葉を、ずいぶん聞く。
気がつけばあちこちに転がっていて、電車の中にも、SNSにも、動画のコメント欄にもいる。
まるで前から日本語の顔をしていたみたいだが、そんなに古株でもない。

もともとは、アイドルのあたりから広がった言葉だった。
AKB48のあたりで「推しメン」という言い方が広まって、自分がいちばん応援している人をそう呼ぶようになった。
なるほど、うまいことを言う。
ただ「好き」より、もう少し体温が高い。
ちょっと前のめりで、少し財布も軽くなりそうな響きがある。

それが外へ出ていった。
俳優、歌手、アニメのキャラクター、スポーツ選手。
いまではYouTuberだろうが配信者だろうが、みんな平気でオシになる。

しかも人間だけでは足りない。
店でも、作品でも、場所でも、場合によっては食べ物にまで使う。
「これが私のオシです」と言えば、たいてい話が通る。
ずいぶん便利な言葉になったものである。

そして、そのオシを応援する行動の全体を、いまではオシ活と呼ぶ。

グッズを買う。
イベントに行く。
配信を見る。
SNSに書く。
写真を撮る。
感想を投げる。
昔からみんな似たようなことはしていたはずなのに、いまはそこにちゃんと名前がついた。

名前というのは妙なもので、ついたとたんに、それはただの行動ではなく文化になる。
急に市民権を得たような顔をする。
人間は昔から、名札をつけるのが好きなのだ。

考えてみれば、人は昔から誰かを応援してきた。
歌手に夢中になる人もいたし、俳優を追いかける人もいたし、スポーツ選手に熱くなる人もいた。
べつに昨日今日始まった話ではない。

だから新しいのは、気持ちそのものではない。
それが「オシ活」という名前で表に出てきて、見えるようになったことのほうだろう。

SNSの時代になって、その熱はさらに外へ出やすくなった。
好きだ。
今日もよかった。
最高だった。
そういう気持ちを、人は写真や文章にくっつけて、ぽいと外へ投げる。
昔なら胸の中でじわじわ煮えていただけの熱が、いまは数秒で世界のどこかへ飛んでいく。

そのへんが、この言葉の広がった理由なのだと思う。

誰かを応援したくなるのは、べつに不思議なことではない。
人は案外、何かひとつ好きなものがあるだけで、日々をどうにかやり過ごせる。
朝から晩までろくでもないことがあっても、帰ってきてオシを見ると、少しだけ生き返る。
そういうことはある。

ただ、いまはその相手がずいぶん近い。
昔のスターはもっと遠かった。
銀幕の向こうとか、ステージの上とか、簡単には手の届かない場所にいた。
ところがいまは、画面の中でしゃべり、コメントを拾い、ときには名前まで呼ぶ。
ずいぶん近い。
この近さは、たしかに楽しい。

だが、近いぶんだけ、少しやっかいでもある。

その話は、次で書く。

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